カメラマン田口隆寛。

OFFICE GUCCHI

初めましてこんにちわ。
カメラマンの田口隆寛です。

タイトルにもある通り、OFFICE GUCCHIという屋号で活動しております。

このブログまでたどり着いたのも何かのご縁ですから、
簡単にカメラマンになった経緯をお話ししておきましょう。
自己紹介はプロフィールを覗いてみてください。

その前に少しだけ学生時代のことについて。
学生時代の私は荒れていました。。。

それも小学校2年生から。
母子家庭の家で育った私は少なからず父親の愛情を感じたことはありませんでした。
女手一つで姉弟の二人を育ててくれた母親には大変感謝しております。

言えないようなことしかありませんので、ここは 割愛させて頂きますが、あえて一つだけ言うとしたら
小学2年生で○○○に乗って、帰宅時間は24時なんてこともありました。
まぁ思春期が誰よりも早かっただけです笑

あれは2000年ですね。小学5年生とか。
世界初のカシオから出た腕時計型カメラ リストウォッチを手にしたあの日から何かが変わりました。

カシオ WQV-1

実はこの2年前の1998年にスーパーゲームボーイから発売していたポケットカメラにもハマっていたのだ。
ということは小3とか?

ポケットカメラ スーパーゲームボーイ

とまぁ9歳くらいからカメラをいじっていたことになる。
厳密にいうと、被写体を決めて、シャッターを押すという動作をおもちゃでやっていたようなもの。

もちろん、使い捨てのフィルムカメラは当たり前のように使っていたし、
5〜6年生くらいの時にはカメラ付き携帯のJ-フォン、からのi-modeでガンガン写真を撮りまくっていた。

なんならi-modeのカメラで人形を一コマずつ動かして静止画を撮影して最後に繋げるパラパラ漫画ならぬ
パラパラ動画のようなものを家でこそこそと撮っては
創っていたのだ。その作品がどこにもないのが悲しいけれど。。。

決して優等生では無かった私が唯一没頭できて
時間を忘れることもできた道具がカメラだったという訳だ。

写真の専門学校は通っていない

今でさえカメラマンとしてなんとか食べていけているが
そもそも私は写真の専門学校には通っていません。
写真家 橘田龍馬氏に師事し写真を現場で教えていただいた。
あの経験は今でも忘れないし、現場の雰囲気作り、モデルとの距離感、スタッフとの関係性、カメラの使い方、自然光の使い方、スケジュール管理、など様々なことを現場で叩き込まれた。

時にはめっちゃ怒られることもあったし、重たい荷物を一人で持って移動させるなんてことは日常茶飯事。

そこから某アパレルブランドの会社にカメラマンとして入社しブツ撮り(商品撮影)を毎日15時間はこなしていた。
ちなみに当時は楽天市場のレディースファッションランキングで1位を取っていたし、同一ジャンルのアパレルで日本一売っていた会社でした。(今は分かりません)

そこでは撮影のディレクションから、企画、ロケハン、キャスティング、面接官、商談、販売する服のコーディネート、買い付け、展示会スタッフ、出張、金庫番、
撮影経費の管理、香盤表作成、モデル送迎、各モデル事務所や本人とのやりとり、部下(最大5〜6人)教育、
他部署とのミーティング、社長への来期の企画書提案、外注スタッフやモデルや取引先との接待、新人モデル発掘、新人カメラマンやヘアメイクさんなどの開拓、
など、、、文字では言い表せない鬼の様な仕事を5年間社畜になりきりこなしていました。
その結果27歳の時点で役職は部長、プロデューサーという位置になってました。

そうなんです。
カメラマン業はもちろんそうなんですが、一人で食べていけちゃう様な「その他」の
営業マン的な、経理事務的な、人脈的な、経営的な
すごーく、すごーく、レベルは低いかもだけど
そんな様なことがオレにも出来るんじゃね!?

って自信がついちゃうくらい(キツかったので)自信満々になっていたのです。
だってたった一人で数千万単位の撮影費を頑固な社長に何度も交渉して捻出して、それを元にクソ高いスタジオとかロケバスとか大手事務所とかにまた値段の交渉して【クオリティが高い写真】を創り出して
その結果会社は売上を上げ、
胸を張って会社に貢献してたと言えてたからなんです!

ということで確か2017年に独立しちゃうというわけですね。
ええ。地元も友達も役職も捨ててです。

群馬から上京してきたわけですが、
いつも撮影は東京だったし、クライアントや外注さんもほぼ東京の人ばかりだったんですが、

以前の職場で繋がった人脈は一切使わずに自分の力のみでカメラマンとして開拓、営業していこうと決めてココトーキョーにやってきたわけなのです。


ココトーキョーはライバルが多すぎました、、、。
はい。甘かったです。
コツコツと人脈は広げましたが、まあ1〜2年くらいは撮影の仕事なんて、「それって仕事ですか???」
ていうレベルばかりでしたよ。

結果今日に至りますが、既に法人様の取引先は20社を超えました。
ありがたいことにお腹いっぱいご飯食べて太りすぎてます笑

ゴールは設定していませんが、一区切りの50社を目指しています。
ハングリー精神は誰にも負ける気がしません。

プロデューサー、キャスティングと人に指示するポジションを長くやっていたから分かるけど、フリーランス○○なんてゴマンといるし
あなたじゃないといけない理由なんて本当に無いんです。あなたに払うギャラより低い金額で良い作品創って、たくさん動いてくれる人は腐る程います。
わたしもあまりにワガママなモデルと自己中心的でクライアントにありがたみを感じない方々を散々切ってきました。だから分かります。

結局は人です。もちろんそれと技術。

明日は我が身です。
今はわたしもフリーランス。
いつ捨てられるかわからない状況で今日も重たい撮影機材を背負って奮闘しております。